話のハナシ

小説と映画に対するのアウトプットです。

ディストピア

ディストピア小説として語られるものには枚挙にいとまがない。

 

1984

動物農場

侍女の物語

すばらしい新世界

「時計仕掛けのオレンジ」

などなど。

 

どこかしらSFじみた近未来の世界で起こることや、時間軸が違った世界として語られることも多い。

 

ただ、もし、そんな世界が現実にあるとしたら?

2+2=5になるような世界があるとしたら背筋が寒くなるような気がする。

 

言論の統制、為政者に都合の良い真実しか伝えないニュース、隣人の突然の失踪。

 

そんな世界があるのかもしれない。

 

さて、

 

ベラルーシという国のことについて、知らないことが多すぎる。

隣国のウクライナについては近年の情勢から聞くことも増えてきたが、この文章については政治的な意図は全くないため、そのことについては今回は言及は避けるとして。

 

サーシャ・フィリペンコという作家の本を立て続けに読んだ。

僕は現代ロシア語文学の最重要人物の1人だと思っている。

もう1人、ウラジミール・ソローキンについてはまたいつか。

現在、日本語訳されているのは2冊。

どちらも壮絶な話である。

 

ネタバレをしたいわけではないので、細かい内容については関係するものを見てもらうとして、2冊ともに共通して見られるところが現実としてのディストピア世界だ。

同じロシア文学でいうと、「地下室の手記」や「イワン・デニーソヴィチの一日」の流れを感じる。

文体は難しくなく(ロシア語圏の名前に慣れていたら)、むしろ読みやすい。

 

もちろん、現在の情勢なんて直接見聞きしたわけではないから僕が知っていることはネットや本文の中だけのことである。

ただ、これに多少なりとも真実が入っているとしたらかなり恐怖を感じる。

 

自分が生き抜くためには、どうすれば良いのか考えると、某RPGの作戦ではないが、「命を大事に」を字義通りに行わないといけない。

そこに芸術や余暇は存在しない。

 

芸術としての表現をしようとするならば、まさに命懸けで行うか、都合の良い作品しか作ることができない。

そんな中で色々なものを犠牲にして表現している様には、もはや敬服する。

 

これを読んで自由な表現ができる国に生まれて幸せー!なんて思考は1ミリも持たないし、対比すること自体無意味であると思う。

 

ただ、読むことで今当たり前にあるものが本当なのか、それとも我々も2+2=5であると半ば言わされそうな世界に生きているのかは考えていきたい。

 

もう一度紹介します。

サーシャ・フィリペンコ

この作者の動向をこれからも追っていきたい。

 

今日の2冊(今回は2冊です)

サーシャ・フィリペンコ

(何の因果か、彼は1984年生まれだそうだ)

「赤い十字」

「理不尽ゲーム」