話のハナシ

小説と映画に対するのアウトプットです。

RRRに見るヒーロー像

RRRがロングラン上映になっている。

ここまで海外映画の劇場公開が長く、さらに話題になっているものって、最近あまりなかったように思う。

 

この現象は一体なぜだろうか、少し掘り下げて考えてみます。

 

ネタバレを含む可能性もありますので、ご了承ください。

 

 

 

私自身がこの映画を見たのは昨年の11月頃、ネットで「インドのキャプテンアメリカ、アイアンマン云々」たる記事を見たのがきっかけでした。

 

映画館で見て、本当によかったと思いました。

 

 

自分のことはさておき、ここからが本題です。

都合上、MCUと比較することもありますが、ご理解ください。

MCUMCUでいずれ言及します。

 

ヒットの理由

その1   短い

MCUは今から見ようとすると本当に長い。

 

全部追いかけようとすると、時間も労力も半端ないと思います。仕事をしている人だとかなりの時間もかかるでしょう。

おまけにアメコミから入っている人、何度も見ている熱心な人など新参者にはなかなか敷居が高い。

 

RRRはまだ同じスタートラインに立てるのです。

ただ、上映時間は長いです。

 

 

ヒットの理由

その2 テーマが重い。

アクションシーンやダンスシーンに気を取られることも多いですが、オープニングからなかなかヘビーです。

 

エンタメ映画として見ることもできればインド植民地時代の歴史映画として見ることもできます。

となると、エンタメ映画が好きな人も割と社会派のものが好きな人も巻き込めます。

 

こんなところがヒットの理由ではないかと思います。

 

閑話休題

ヒーロー像の話でしたね。

 

MCUのヒーローは明確なヴィランが存在します。その企てを阻止するためにアベンジャーズが結成されていくというわかりやすい構造になっています。

(ただ、サノスはサノスなりの思いもあるので、一概に絶対悪とは言えないかもしれませんが、ここでは便宜上。)

 

RRRはというと、明確なヴィランは作品には出てきません。

(妹を拉致した犯人がヴィランといえばそうなのかもしれませんが、奥様とは直接対決はしていないので)

イギリス駐屯兵というものやインド総督は出てきますが、そこを倒すことが最終目標ではなかったように感じました。

 

また、MCUは主義、主張が異なりながらもそれぞれ折り合いをつけて、悪を倒すという共通の目標に向かって進みます。

RRRは共通の体験をしたからこそ芽生えた友情が主義、主張を超えるという描写がありました。

 

もしかしたら同じようにインド帝国下で虐げられているという共通の思いもあったのかもしれません。

それよりも主義・主張が異なる場合に主義・主張を取るのか、仲間を取るのか、に重きが置かれていたように見えました。

できるだけ自分の手の届くところから世界を救っていきたい、という思いがRRRには感じられました。

 

となるとMCUとRRRのヒーローとしての方向性の違いが出てきます。

MCUヴィランを倒し、世界を救うヒーロー

RRR=仲間や兄弟を助け、悪を倒すヒーロー

 

どちらが正しいのかというところはわかりませんが、とりあえず私が考える両者のヒーロー像の違いです。

 

長々と書きましたが、とても良い映画ですのでぜひ映画館でお楽しみください。

 

 

みんなと一緒がいい

日々、色んなところで人と接していると、「みんなと一緒がいい。」という場面に出くわすことが多い。

 

同じものをしたり、持っていたり見ていたり、その他諸々の行為で「誰かと同じことであること」への安心感を求めているのだと思う。

 

それって少し怖くないですか?

 

僕は少し怖いです。

 

 

考え方が同じ人とばかり接していると、どうしても自分の考えが正しいと思ってしまいます。

そうなると、他者の意見や批評を受け付けなくなるように感じます。

 

もちろん、他者が知らない何かを自慢げに伝えることはただの自慢や知識を得意がって見せようとするだけに見えることもあります。それはそれであまり良くないです。

 

どこかで自分だけの軸があると色々考えるための足がかりや基盤になると思うのです。

 

自分の軸を大切にしながらも誰かの軸も大切にできる。

そのためには、やはり色々なものと触れていくことって大切な気がします。

 

自分の好きなものを好きと伝えられる、誰かの好きを素直に受け止められる、そんな環境になっていくといいですね。

 

今日の1冊。

「大衆の反逆」